日隆 (本門法華宗) (Nichiryu (of the Honmon Hokke Sect))
日隆(にちりゅう、至徳 (日本)2年/元中2年(1385年) - 寛正5年2月25日(旧暦)(1464年4月1日))は、室町時代中期の日蓮宗の僧。
父は桃井尚儀。
越中国の出身。
幼名は長一丸。
号は深円・慶林坊・精進院。
八品派(現在の本門法華宗及び法華宗本門流)の祖。
初め越中国遠成寺に入り、18歳で京都妙本寺日霽(にっせい)に師事して修学したが、のち月明と対立し独立して一派を形成した。
師の没後、西洞院柳酒屋の像師堂(のちの妙蓮寺)で研鑚した。
1429年(永享元年)京都六角堂町の豪商小袖屋宗句の援助により本応寺(1433年に本能寺と改称される)は、細川満元の庇護を受けて創建された尼崎本興寺 (尼崎市)とともに八品派の中心的な寺院となった。
瀬戸内の中国・四国に布教を行い、多くの寺院を建立した。